私が多摩中学校を卒業したのは、1967年です。あれから半世紀。
この中学校を卒業した仲間の8割が、今もこの地域で暮らしています。
仲間と共に、私はこの目で、多摩・稲城の変化を見てきました。
稲城・多摩と共に歩み、政治をこころざした人生を少し振り返ってみようと思います。

少年期の衝撃

私は、昭和27年2月7日に生まれました。
今でこそ、多摩も稲城も市になっていますが、当時は、両市ともまだ村でした。思いっきり遊んだこの地域の原風景を今も思い出すことがあります。
豊かな自然に恵まれたこの地域にも課題はありました。
少年期の私に深い衝撃を与えたのは、医療の問題です。

一人しかいないお医者さんが出かけるとこの地域は一時的に無医村になってしまいます。
お医者さんがいないために、助かるかもしれなかった命が助からない。そんな場面を目の当たりにしました。
もちろん当時の私に何かができるわけではありません。
それがゆえに、少年の私には、悲しい出来事でした。
命を救える町にしたい
この想いが、私が政治をこころざした原点となっていると思います。

市議会議員として

ニュータウン開発とともに、当たり前に感じていた自然がどんどん変化していきました。
正直なところ、そのことに一抹の寂しさを感じたこともあります。ただ、同時に、町が発展していくことへの期待やうれしさを感じていました。

大学を卒業後、参議院議員秘書を務めたのち、多摩市議会議員として政治の道へ進ませていただけることになりました。
私の下で学んでくれている青年こいそ塾のメンバーが、議会の記録を調べていて、たまたま、若かりしころの市議としての私の発言を見つけてくれたそうです。
議員の発言は、記録に残ります。
初当選のころから、私なりに精一杯務めさせていただいたつもりですが、今から思えば、若い発言もあったろうと恥ずかしさを感じます。

都議会議員として

1997年に都議会議員に立候補しました。以来、5期にわたり、都政の現場に送り出していただきました。
「多摩・稲城から都政を前へ」を合言葉に、住民の皆様、都民の皆様が主役の都政を貫く、これが私の使命であると思ってまいりました。
発展するこの地域で、住民の皆様の感じる課題は刻々と変化していきます。
どの問題にも、私なりに全力で取り組んできたつもりですし、これからもそれは変わりません。
50年後のニュータウンは、人口が半減すると言われています。それに対して、ただ指をくわえて見ているだけではなく、50年後も輝いている地域にしたい。
私は本気でそう思っています。
そのために、まだまだ止まることができないのです。
皆様にお力添えいただきながら、これからも結果を出し続けていきたいと考えております。

これまでの経歴

  • 東京都多摩市にて誕生
  • 自由民主党学生部中央執行委員会委員長
  • 東京都都議会議員 南多摩区(多摩市、稲城市)選出、以降当選6回
  • 東京都議会自由民主党副幹事長
  • 桜美林学園理事
  • 東京都議会自由民主党副幹事長
  • 自由民主党都連広報宣伝部長
  • 東京都議会自由民主党政務調査会長代行
  • 東京都議会警察消防委員長
  • 東京都議会防衛議員連盟会長
  • 東京都監査委員を歴任
  • 東京都議会情報公開推進委員長
  • 東京都議会百条委員会副委員長
  • 桜美林大学特任教授
  • 東京医療学院大学シニアアドバイザー
  • 東京都議会公営企業委員会委員長
  • 東京都議会各会計決算特別委員会委員長